アートの大量生産!ウォーホルのファクトリーとポップアート



20世紀を代表するハリウッドスター、マリリン・モンローのイメージがひたすら繰り返されるアンディー・ウォーホールの「マリリン」(1967)はポップアートの代名詞的作品です。


そしてポップアートは現代アートの代表的芸術運動。そんなポップアートに今回は着目します。

ポップアートとは

ポップアートはだいたい1956年から1970年の間アメリカで流行ったアートスタイルで、主題として大衆社会や消費社会を扱っているのが特徴です。


その根本的な思想はアンディー・ウォーホールの以下の言葉に集約されています。


ポップアートはあらゆるひとに開かれている。アートが選ばれた少数者のためだけにあるべきだとは思わない


この言葉の背景にはあらゆるひとに開かれていなかった抽象表現主義の存在がありました。


ポップアート以前のアメリカではポロックやロスコの抽象表現主義が隆盛を極めていました。彼らは内面的な感情を抽象的にキャンバスに描きます。



しかし、抽象表現主義の構図の中心がないオールオーバーな画面構成や抽象的な表現はアートを難解なものにして、一般大衆とアートの世界の間に壁を作ってしまう一面もありました。


そんな抽象表現主義に対してあまりに内向的すぎると批判したのがポップアートでした。


ポップアートからすると芸術は個人的な感情などを表すものではなくて、もっと表面的でみんなが共有するイメージを提供するものでした。


そのため、ポップアートの芸術家たちはポスターや写真、漫画など一般の人に馴染みのあるメディアからイメージを切り出し大衆文化の象徴としてアートの形で表現します。


ポップアートは俗っぽいポピュラーカルチャーと高尚なアートという相容れないものを両立させ、美術と生活のボーダーラインを取り払ったのです。

アンディー・ウォーホールとファクトリー

ポップアートのスーパースターといえばアンディー・ウォーホールです。


彼は元々商業画家でイラストレーションを作成していたのですが、32歳のときにファインアートの世界に移り、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を制作していきます。


彼はアート作品を工場で大量生産するかのように制作していくことから自分のスタジオを「ザ・ファクトリー」と呼び、アート・ワーカーと呼ばれるスタッフを雇って機械的に作品を量産していきます


そんな彼の狙いはアーティストとアートを切り離すことでした。あえて彼自身の手を加えないでアートを制作することでアートからアーティストの影を消し去ったのです。


一方、抽象表現主義では画家の内面的な感情が絵画で表現されており、アートとその作成者であるアーティストは切っても切り離せない関係でした。


しかし、それはアーティストの内面にアートの真の意味が隠されているということであり、アートを理解できない大衆と理解できるアーティストとその仲間たちといったふうに境界線を両者の間に引いてしまうものでもありました。


その点でファクトリーによる大量生産はその二つの境界線を曖昧にしてしまう画期的な取り組みだったのです。


アンディ・ウォーホルのすべてについて知りたければ、表面だけを見ればいい。


アンディ・ウォーホルのこの言葉の通り、彼の作品こそがアンディ・ウォーホルの全てあって、そこに隠された意味なんてありません。アートからアーティストの感情や思想は全て取っ払われているからです


そうやって出来上がったアートはアーティストの所有物ではなく、みんなのものとなります。まるで大量生産されたコカ・コーラが多くの人に愛されるように。


「全ての人に開かれたアートを」というポップアートの考えを彼は大衆イメージの大量生産という方法でクールに体現したのです。


そんなウォーホルの作品は通販なんかで安く手に入るので部屋のアクセントとして飾ってみてはどうでしょうか。美術館にいかなくてもアートを気軽に楽しめます。それがポップアートです。












感情を経験する場としての絵画と抽象表現主義




キャンバスに荒々しく叩きつけられた色、色、色。画面は色のカオスで覆われています。一見狂人の描いた絵です。しかし実はこの絵、アメリカ美術史始まって以来の天才だと言われた大芸術家ジャクソン・ポロックによって描かれたものです。


なんと彼の作品は100億単位で取引されてたりします。ゴミのような絵が高額で取引されるなんて全く意味がわからないっていうのが普通の感覚だと思います。そうやってアートに対する苦手意識が生まれてしまうんですねーー。


今回はそんな難解な抽象表現主義の絵画をできるだけわかりやすく説明していきます。

抽象表現主義とは

第二次世界大戦の戦禍から逃れるためヨーローッパから多くの芸術家がアメリカに亡命し、アートの中心はパリからニューヨークに移ります。そこで1940年代後半から1950年代にかけて流行ったのが抽象表現主義です。


抽象表現主義はその名の通りゴッホのような感情の荒々しい表現と、現実を再現しない抽象的イメージが特徴的です。


また、イメージが画面全体を均一に覆うオールオーバーも重要な要素です。画面に中心や背景、前景などはありません。鑑賞者はどこを見ていいかわからなくなり、細部ではなくて全体を見ようとします。そのことより絵画に包みこまれるような印象を抱かせます。


ひたすら画面が巨大なことも抽象表現主義の特徴です。人より大きなイメージはそこに独自の空間を作り出します。このことも鑑賞者に絵画の中にいるような感覚を与えます。


これらの二つの要素、オールオーバーと画面の巨大さは絵画を見るものではなく経験するものに変えます


そんな抽象表現主義は手法によりアクション・ペインティングとカラーフィールド・ペインティングの二つに分かれます。

ポロックとアクション・ペインティング



アクション・ペインティングの基本的な考え方は出来上がった絵よりも、描く行為そのものが大切であるというものです。結果じゃなくて過程でしょってやつです。


アクション・ペインティングでは絵画の定義が拡張されており、絵画とは描きあがったものだけではなく、製作中の作家によるアクションの軌跡、場であるという解釈がなされます。


アクション・ペインティングといえばジャクソン・ポロックです。


ポロックは床の上にキャンバスを敷き、その上から筆につけた絵の具を叩きつけるようにして絵画を制作します。もはや筆とキャンバスは触れずに、絵の具は空中に放たれキャンバスの表面に跳ね散らかり色彩のパターンを形成します。


彼は自らのアクションを画面に投影することで複雑な感情をダイレクトに表現しました。そのようなむき出しの感情は巨大なキャンバスの全てを覆い尽くし見るものを圧倒します。


アクション・ペインティングはシュールレアリズムのオートマティズムという手法に強く影響を受けています。オートマティズムとは無意識の状態で絵を描くというスタイルです。


アクション・ペインティングにおいて絵の具の跳ね返りなどは計算できるものではなく、偶然性が生み出す色のパターンは意識の干渉を受けません。そのような意味では無意識の生み出す絵画であるとも言えます。


ロスコとカラー・フィールド・ペインティング


一方、カラー・フィールド・ペインティングでは、均質な色が平面的に広がる画面が特徴的です。一言で言っちゃえば色の壁です。


カラー・フィールド・ペインティングと言えばロスコ


私は悲劇、忘我、運命といった人間の基本的な感情を表現することだけに関心があります。」という発言の通りロスコは色彩で感情を表現します。


しかし一方で「大切なのは色彩ではなく寸法だ」という言葉も残しており、彼はイメージそのものよりも絵画の巨大さによる感情の体験を重視しました。


上の写真ではロスコの絵画に向き合う人びとが写されています。彼らは絵画から意味を読み出そうとしているのではなく絵画を経験しています。そう、まるで教会で賛美歌を聞くクリスチャンのように。




と、二つの抽象表現主義のスタイルを見てきましたが、どちらにとってもオールオーバーと絵画の大きさが作り出す経験という要素は必要不可欠なものです。


なので、PC上でこれらの絵画を見てもあんまり意味はありません。PCモニターでは絵画の大きさが排除されているので抽象表現主義の絵画はポテンシャルを全く発揮できていないのです


だからこそ、ネット上で「こんな絵誰にでもかける」といった批判がなされたりするんですね。抽象表現主義はもしかしたら現代美術の中で最も不当な扱いを受けているのかもしれません。







シュールレアリズムと混沌への扉を開ける2つの手法



死体がベッドの上に横たわり、その傍らには音楽を楽しむ暗殺者が佇んでいます。彼の死角には二人の警官が武器を構えチャンスを窺っており、窓の外からは3人の目撃者が部屋の中を覗きこんでいます。


マグリットの「暗殺者危うし」(1927)という絵は一見写実的に見えますが、なにか現実離れした浮遊感を鑑賞者に感じさせます。微妙におかしい点がたくさんあるからかもしれません。なぜ網と棍棒?音楽を楽しんでいるのはなぜ?3人の男たちは誰?この絵を見ると不思議で不気味な夢の中のような感覚を抱きます。。。。


今回はそんな夢や無意識を描くシュールレアリズムの世界を紹介します。

シュールレアリズムとは

みなさんもシュールという言葉を日常的に使ったり聞いたりすることがあると思います。普通ではありえないような組み合わせに対してシュールだと形容することがあるようです。


そんなシュールという言葉の使われ方の通り、シュールレアリズムの画家たちはありえないものを組みあせたような表現をします。


本来あるべき場所や環境と無関係な状況に物や人をおいて、不安な雰囲気、不条理で謎めいた超現実的な空間を生む方法はデペイズマン(配置転換)と呼ばれます。


マグリットによる「共同発明」(1935)では魚の頭部と人間の下半身が融合しており、浜辺に打ち上げられています。まさにデペイズマンです。


しかし、シュールレアリズムの画家にとっては彼らの目的を達成するための一つの手段にすぎませんでした。


彼らの目的とは何か。


それは現実を超えたリアリズムを捉えることでした。


彼らはダダイズムの非合理や無秩序という精神を受け継ぎ、それらにコントロールされない夢や無意識の世界に現実を超えたリアルを見出します


合理的、科学的なものにしばられない夢の世界。理性や意識を持ってはアクセスできない無意識の世界。混沌が支配するそれらの世界に踏み込みそこからイメージを生み出す方法は二つあります


夢を再構築するダリ的表現


一つの方向はリアルに描かれた物や人をあり得ない組み合わせで配置することで夢や無意識の世界を表すといった方法でした。


ダリの「記憶の固執」(1931)では溶けた時計が木や机にかけられています。時計がこのように溶けることなんてありえません。非日常的で夢の中のようです。合理性をはかる基準である時間を表す時計が溶けているのは非合理を絵に描いたようなものであると言えます。


また、ダリはイメージを写実的に描くほどそれらのあり得ない組み合わせが大きなインパクトを持つと考えました。


写実+非日常空間=ダリ的表現です。


無意識のままに描くミロ的表現


二つ目の方向は画家自身が無意識の状態で絵を描くという方法です。ミロによる「ハーレクインのカーニバル」(1924-25)は彼自身が空腹の中で見た幻想をスケッチしたものです。


シュールレアリズムの画家には眠りながら絵を描いた人もいたようです。しかし、一般の画家にはそんな真似はできません。彼らは例外的でした。一般的にはオートマティズムという方法が取られます。


オートマティズムとは意図的に偶然の要素を利用して意識下のイメージや連想を引き出そうとする方法です。


たとえば、凸凹のある素材の上においた紙を鉛筆などでこすって、そこに現れた素材表面の質感が作り出す予期しない形をイメージとして利用するフロッタージュ。


絵の具をつけた紙に別の紙を被せてこすり、出来上がった偶然の模様をイメージとして利用するデカルコマニーなど、ぼくらが美術の授業でならった懐かしい手法の数々がオートマティズムの例です。


そんな偶然から出来上がったイメージに対し、「壁の木目が人の顔に見える的」連想をして無意識を表現します。


エルンストによる「沈黙の目」(1943-44)ではデカルコマニーが使われているようです。真ん中の模様ですかね。




以上見てきたように、二つの方法によりシュールレアリズムの画家たちは現実を超越したリアリティを捉えようとしました。


本当にこれらの方法で夢や無意識の世界が表現できるのかは謎ですが、少なくとも不気味で魅力的な非日常空間をつくり上げることには成功していますね。









アートをぶち壊せ!「無駄無駄無駄」のダダイズム


この絵はルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチによる「モナ・リザ」(1503-1519)。ではなく、デュシャンによる「L.H.O.O.Q」(1919)です。ダンディなひげが書き足されています。


「これが芸術?ただのおふざけじゃないか」と思うかもしれません。そうです、ただのおふざけです。しかし、そのおふざけこそがダダイズムという美術運動を象徴的に表しています。


ということで、今回はダダイズムについて説明します。

ダダイズムって何?

ダダイズムは「アンチ」という一言に集約されます。ダダの芸術家たちは今まで正しいと思われてきた全ての価値観を否定します。


デュシャンの「L.H.O.O.Q」は過去の美的価値や伝統の否定を意味しています。タイトルのLHOOQも言葉遊びで、フランス語の同音異句に直して意訳すると「彼女のお尻は熱い」つまり、欲情しているという意味になります。彼のおふざけには「みんなアートを真剣に捉えすぎだ」とメッセージが込められているのです。


これだけ聞くとダダイズムは非常に反社会的で危険な人びとの集まりのように見えます。あの大巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を公然とディスってるわけですから。なぜ彼らは既製価値を否定しようとしたのでしょうか


ダダをもっと深く理解するためにそのルーツを見てみましょう。

戦争の落とし子ダダ

ダダイズムは1916年第一次世界大戦の渦中、中立国スイスのチューリッヒに集まった芸術家たちの間で生まれました。同じ頃ニューヨークでも同じような運動が起こります。


戦争による恐怖や不条理さが同時多発的にダダという運動を各地で引き起こしたのです。


19世紀末、西欧社会は産業革命や機械文明によってもたらされた豊かさに繁栄と希望を見出していました。


しかし、そのような合理性や規律の追求の果てには戦争という大きな暗闇がぽっかりと口を開いて待っていたのです。


今まで信じていたのに裏切られた。そのようなムードが人びとの間で漂い始めます。社会に対する悲しみの心は怒りとなり芸術家の間で噴出しました。


何が合理性だ。何が規律だ。今まで積み上げられてきた価値観の先に戦争が待っていると言うのならば、全て否定してやる!


そのような信条のもと、ダダの芸術家たちは非合理さや無秩序をアートの形で表現します。


たとえば、マン・レイの「贈り物」(1921)ではアイロンに画鋲が着けられており、本来の服の皺を伸ばすというアイロンの価値が否定されています。むしろ服を切り裂いてしまうといった非合理性が皮肉をきかせています。


また、既製品であるアイロンと画鋲をただ組み合わせただけのオブジェはレディメイドという考えに基づいており、作品は一から創造されなければならないという今までの既成概念も壊しています。


また、ダダイズムは偶然性というものも重視しました。たとえば、小さく切った新聞記事をごちゃ混ぜにして並べた詩や、紙を落としていき偶然出来た形を作品とするなど。もはや芸術とも美とも関係ありません


しかし、ダダは今までの全てを否定することで芸術の定義を塗り替え、新しい道を指し示しました。ダダイスム自体は短命に終わってしまうのですが、後にシュルレアリスムやポップアート、パンクアートやコンセプチュアルアートなどに大きな影響を与えます。


アートを否定する立場であったダダイズムが今では美術史に組み込まれ、重要な位置を占めているというのも皮肉なものですね。






これまでのまとめ:20世紀前半の連続的イノベーションを振り返る



今回は今までの現代アート史に関する投稿の内容をざっとまとめ、アートの歴史を塗り替えていった数々のイノベーションを振り返っていきたと思います。

アートのブレイクポイント

自然を模倣することは芸術の大前提。古代に描かれた壁画から印象派の絵画まで、自然をどれだけリアルに描くかを芸術家たちは追求してきました。


しかし、リアルに描こうとする中で芸術表現はさまざまなルールでがんじがらめになってしまいます。たとえば、遠近法を構図に取り入れることや自然に忠実に色を塗ることなど。。。


そして迎えた19世紀末。旧態依然とした芸術に対してうんざりした若いアーティストたちはついに自然を模倣することをやめました


自然を模倣する必要がないということは、今までのルールに従う必要が無くなります。その結果様々な表現スタイルが生まれていくことになります


今までのルールをいかに壊し何を表現するのか。それが20世紀の美術の課題でした。


ブレイクスルーの数々

まず、フォーヴィスムにより色彩のルールが壊されます。フォーヴィスムでは実際の色を完璧に無視して画家の主観的な選択で色を塗ります


色彩の次に形態の改革が起こります。キュビスムの画家たちは風景や人物をシンプルな形に分解し、同一画面上に様々な視点を取り入れます。これにより1つの視点から見た現実を描くという絵画の約束事は壊されました


また絵画では写真のように止められた静的な空間が描かれてきましたが、未来派は時間の概念を絵画上に持ち込み画面にダイナミズムをもたらしました


そして20世紀の美術はついに現実世界と隔離された抽象の世界に行き着きます。対象を再現することを放棄していった結果、線や色のバランスを追求することであったり、素材の味を引き出すことといった内面的な方向に芸術は突き進んでいきます


さらなるブレイクスルーはデュシャンの「泉」(1917)によってもたらされます。芸術家が選択することで単なる既製品も芸術たり得るという考えは、作品を創作するという芸術の前提の前提を打ち壊すものでした。作者は何も作らなくてよいわけです。


このようにアートはアート自体の定義を塗り替えながら20世紀に展開されていきます。つまり、100年前と現在のアートの定義は全く異なるということです。この後アートは歴史の中でどのような方向に進んで我々の時代のアートに行き着くのでしょうか。。。










絵画の中の恒久平和とモンドリアンの新造形主義



人生にはいろいろな対立があります。ネガティブとポジティブ、意識と無意識、精神と肉体、男性と女性、善と悪、光と闇。。。


対立はいつだって個の強調から生まれます。何かを個別のものとして定義することで、それとそれ以外に世界は分かれてしまいます。そのような分裂から異なるものが生まれていくのは避けられません。


国家もそのような分裂の結果形成されます。そして、国家同士の対立は戦争を生みました。1914年から1918年にかけて起こった第一次世界大戦では国家間の大きな対立構造の中で多くの人が亡くなることになります。


戦後の消耗しきった世界に対して、オランダの画家モンドリアン個の対立ではなく個の調和を強調する絵画を制作し、これからの社会が進むべき道を指し示そうとします。

どのようにして調和を生み出すか

モンドリアンは全てのものに共通する根源的なシステムを反映し、それゆえに個の対立を調和させる絵画を目指しました。


もう少しわかりやすく例えます。植物たちが住む世界がありました。そこでは花の国、野菜の国、果物の国が存在しており植物たちは植物界の覇権を巡って争っていました。


そんな状況の中、「俺達には全員根があって葉っぱがある。それに光合成だってできる。俺達は同じ植物じゃないか」と宣言する植物が表れます。


それがモンドリアンです。ただし、彼は絵画の世界でそのコンセプトを表現しようとしました。


絵画の世界で全てに共通するもの。それは色、形、線、空間などの基礎的な絵画的要素です。それらの組み合わせで絵画世界は作られているからです。


モンドリアンはそれらをもっと純粋な要素にまで突き詰めます。結果、垂直線と水平線、赤青黄の三原色といった要素が彼の絵では採用されます。彼の絵では、斜めの線や緑は一切使われません。


また、色が混ぜ合わされることもありません。純粋に赤は赤、青は青として絵画上で表現されます。なぜかと言うと、調和を作り出すためにはそれぞれの要素が独立した個である必要があるからです。


そのような限られた要素だけで描かれる彼の絵は完全なる抽象です。現実世界の何もモデルにしていません。線や色などの調和が彼の絵の主題です。そんな彼の絵画は新造形主義と呼ばれました。


上の「赤、青、黄のコンポジション」(1930)は彼の探求の結晶です。


ここで注目してもらいたいのが黒い線の太さです。微妙に違うのに気づきましたか?


人間の目は細いラインを素早く読み取ることができるが太いラインは遅くなる、とモンドリアンは考えました。この手法により絵画に動きを加え人生の連続性を表現しています


また、縦と横のラインは人生における二項対立を示しています。異なる要素である縦と横のラインが交わるところで新たな関係性が生まれ正方形や長方形などの面が形成されていきます。


モンドリアンは人生の本質をこのシンプルなイメージに詰め込もうとしたのです。




後に線や色などの要素間の調和を第一とする新造形主義の考えはデ・スティルという運動に引き継がれ、現代建築やデザインに展開されていきます。



これはデ・スティルのメンバー、ヘリット・リートフェルトによる「赤と青のいす」(1917)です。まるでモンドリアンの絵画が現実世界へ抜け出してきたかのような造形ですね。


ただモンドリアン自身はデ・スティルのリーダー、ドースブルフと対立してしまい1925年に脱退してしまいます。どうしても対角線は許せなかったんだとか。


完全なる調和は芸術の世界でしか実現されなかったのでしょうか。。。












ロシアの黒い正方形と社会主義的芸術


白い背景に黒い正方形。ロシアの芸術家マレーヴィッチによる「黒の方形」(1915)は絶対主義の代表的作品です。これが芸術!?と思うかもしれませんが、立派な芸術作品なのです。何がこの黒い正方形を芸術たらしめているのか…


舞台は社会主義の風が吹き荒れる1900年頭のロシア。絶対主義と構成主義を紹介します。

絶対的抽象=■

この作品は絶対主義の代表作ということなので、まず絶対主義について説明します。何が絶対なのか。それは抽象を極めたという意味での絶対です。


抽象芸術といえば前回、二次元上の音楽的表現を目指した抽象芸術を紹介しましたが、絶対主義では音楽的要素すらありません。というか対象がありません。しかし、何も指し示さない芸術なんてストーリーのない小説みたいなものです。一体どういうことなのでしょうか。


絶対主義では芸術作品それ自体の物理的性質に着目します。作品の色、トーン、重さ、材質、動き、空間、そして要素のバランスなど…先ほどストーリーの無い小説で例えましたが、その文脈で言いますと紙の材質や色、重さなどがその小説の主題です。


本を開いても白紙のページが続くだけ…何の説明もヒントもありません。それこそが最高の抽象であるというのが絶対主義です。自然の再現も理想化もしない、純粋な技術や素材への着目はアートの役割をひっくり返してしまうインパクトを持っていました


「黒の方形」に関して、マレーヴィッチはこう言います。「全ての視覚的ヒントを取り除くことで客観性が作品からなくなる。結果として、鑑賞者は純粋な感情を楽しむことができるのだ。」と。


彼は人びとに白いふちと黒い正方形の関係性を、絵の材質を、色の密度や重さを考えてもらうことを望んでいました

パワーバランスの変化

一方、そんな作成者の意図とは関係なしに、鑑賞者はこの作品について好き勝手言えます。なぜなら、絶対主義の絵に客観性はないからです。


たとえば、白いふちが生、黒い正方形は死を表している。生とは死のふちであり、絶えず我々は死のふちを綱渡りをしているのだ。的なw


でも、ただの黒い正方形やんけっていう解釈もできます。


「この黒い正方形の裏にはなにかとてつもない意味があるのではないだろうか…だって、美術館に飾ってあるんだし…でも、ただの正方形だよなぁ…」と鑑賞者は考えます。


アートはアーティストによって作られたゲームで、我々はそのゲームにチャレンジするプレイヤーという図式です。


芸術家は従来身の回りのものや空想の世界を二次元上に表現しようとしてきました。鑑賞者はどれだけリアルに見えるかで上手い下手を評価することができます。つまり鑑賞者が力を持っていました。


しかし、そのパワーバランスが絶対主義によって覆されたのです。ゲームマスターはもはやアーティストです。「この■には隠された意味、宇宙の真理があるのです。。。」


それでも、「芸術家には特別な才能がある」と人びとが信じないとただの四角やんで終わっちゃうんですが。

構成主義と実用性の追求

絶対主義の後、1917年あたりから1920年代にかけて同じくロシアで構成主義というものが生まれます。絶対主義は二次元の純粋芸術でしたが、構成主義は三次元空間に同様の概念を引き継ぎながらも芸術の実用性を重視して展開していきます


これはタトリンの「コーナーレリーフ」(1914-1915)です。構成主義ではその名の通り、工業用の金属板や針金などの素材を組み合わせ彫刻を作っていきます。


美術史上に現れた最初の純粋抽象彫刻とも言われるこの作品。今までの彫刻作品では空間と彫刻は別に捉えられていたのですが、部屋の角の空間自体も含めて作品としている点が画期的でした。


タトリンは虚像としての絵画空間ではなくて、現実の素材で現実の空間を作り上げる構成主義の方が優れていると考えました。


というのも当時の社会主義国家となったソビエトでは生産主義のもと、美術にも実用性が主張されて、芸術的な形と実用的な目的が一つとなった合目的な美術が求められ始めたからです。


そのような要請を受けて構成主義者たちは純粋美術を離れ、家具、食器、衣服、建築、ポスターなど実用的な分野に美術的表現を応用していきます


これは構成主義の芸術家、ロトチェンコによるおしゃぶりの広告です。幾何学的形態の組み合わせによる造形表現は絶対主義の流れを汲んでいます。


しかし1929年、スターリンの独裁が始まると、芸術団体は解散させられてしまい構成主義の運動は終わってしまいます。そして社会主義リアリズムへと移っていきます。。


以上、ロシアの芸術運動について解説してきました。社会主義の影響下のロシアということで、芸術運動も理想論的な傾向が強いですね。













曲線のアール・ヌーヴォーと直線のアール・デコ



今回は19世紀末から20世紀初頭にかけて流行った装飾美術に焦点を当てたいと思います。


装飾美術というのは器具や建造物など、実用品の装飾を目的とする美術のことです。いわゆる純粋美術とは区別されます。アートと言うよりデザインに近いです。


19世紀末にはアール・ヌーヴォー、20世紀初頭にはアール・デコという装飾美術の運動が西洋を中心に起こります。それぞれ特徴を見てみましょう!


自然の再発見、アール・ヌーヴォー



19世紀末に現れたアール・ヌーヴォーは「新しい芸術」を意味しています。基本手作りで一品ずつ熟練の技術で作られていきます。


特徴は有機的な曲線です。植物や昆虫などに見られる滑らかな曲線を職人たちは観察しデザインに取り入れていきました。優しくのびのびと流れていくようなフォルムは内向的で女性的なイメージを彷彿とさせます。


また、鉄やガラスといった当時の新素材が使われたことも特徴です。


自然の美を再発見し日常に取り入れるといったプロセスは、時を同じくしてヨーロッパにもたらされた日本美術や原始美術の影響を受けています。


自然をモチーフに洗練された美しいデザインが特徴のアール・ヌーヴォー。しかし、有機的な曲線は大量生産できずコスト高だったので、結果として一般庶民へはあまり普及しませんでした


そんなアール・ヌーヴォーの代表的画家といえば、そうみんな大好きミュシャです。彼は画家というよりもグラフィックデザイナーやイラストレイターといった方がより正確かもしれません。彼の描く美しい女性や曲線、優しい色使いが多くの人を今でも魅了しています。


「黄道十二宮」(1896-97)では植物や曲線といったアール・ヌーヴォーの要素がふんだんに盛り込まれています。ちなみに黄道十二宮というのは太陽の通り道である黄道を12等分して12星座がそれぞれ当てはめられた領域のことを言うそうですよ。

都市生活との調和、アール・デコ


一方、アール・デコは1910年頃表れた装飾美術の運動です。1925年のパリ博で人気を集め世界中でブームになり、アメリカで隆盛を極めます。


その特徴は幾何学的な固い曲線です。アール・ヌーヴォーとは逆にアール・デコではシャープでキレのある水平線や垂直線がデザインに多用されます。この幾何学的表現はキュビスムなどから影響を受けてたりします。


文明の急速な発展と共に自動車や工業製品などの台頭が近代都市生活を生み出します。そのような都市生活にマッチしたデザインがアール・デコだと言えます。


アール・デコの理想は「生活の中に芸術を」。幾何学的造形は安価での大量生産と洗練されたデザインの両立を達成するのにうってつけだったのです


ニューヨークのエンパイアステートビルなどはアール・デコの建築様式で作られました。


アール・ヌーヴォの代表的画家のミュシャを紹介したので、アール・デコの代表的画家も紹介します。


この絵はレンピッカによる「自画像」(1929)です。車に乗った女性はヘルメットと手袋を着けています。控えめな色使いと口紅の赤がコントラストを生みだしています。都会の生活を感じさせる絵ですね。彼女の自画像は自己主張をする自立した女性のリアルなイメージであると言われています。



アール・ヌーヴォとアール・デコ、正反対の美術運動でありながらそれぞれ独自の魅力を持っています。アール・ヌーヴォ調の家具やアール・デコ調の家具で部屋をコーディネートしてみるのもおもしろいかもしれません。






色彩による二次元のオーケストラとその作曲家たち



近代アートの歴史上、絵画は視覚表現の追求とともに現実から遠ざかっていきました。フォーヴィスムにより色の、キュビスムにより形の自由革命がもたらされます。結果として行き着いた先は現実を「再現しない芸術」抽象芸術でした


抽象芸術は現実を模倣する、たとえば肖像画のようなアートではありません。むしろ音楽に近い性質を持ったアートだと言えます。なぜなら、音楽もまた現実を「再現しない芸術」だからです。


ということで今回は抽象芸術を音楽という側面から見ていこうと思います。

音楽=抽象芸術

音楽が現実を再現しないということについてもう少し詳しくお話します。


音楽は非常に抽象的な芸術の形です。なぜなら、直接的に物事を指し示すことができないからです。もちろん、くじらの鳴き声などの自然音を音楽の中にアクセントとして使うことはあるんですが、本質的に音楽はメロディーで絶望や希望といった抽象的概念を表現します


バイオリンの旋律やドラムの振動は互いにハーモニーを生み出し、聞くものの想像力に訴えかけます。たとえば、「海」という題名の曲は海のイメージを頭のなかに呼び起こすかもしれませんが、絵画のように海のイメージを直接目に見せることはできません

音楽的絵画、オルフィスム

そのような音楽の抽象的表現を絵画上で行おうとしたのがオルフィスムの画家たちでした。オルフィスムの名前の由来は竪琴の天才、オルフェウスというギリシア神話の英雄です。


オルフィスムは非再現的な色彩と非具象的な形による音楽的表現が特徴的です。また、キュビスムの発展形として語られることもあるのですが、あくまでキュビスムは形のあるものを描いた具象絵画であったのに対して、オルフィスムは形のない音楽や色を主役として扱うのでキュビスムとは一線を画しました


彼らは音符の変わりに色と形で作曲し、抽象的概念を頭の中に呼び起こします


この絵はオルフィスムの画家、クプカによる「ノクターン」(1911)です。ピアノの鍵盤とその音が発想源となっています。色とりどりの長方形が音楽的リズムを作り出しています。


音楽的抽象絵画の集大成

そのような絵画上での音楽的表現をさらに推し進めていったのがカンディンスキークレーでした。彼らは抽象絵画の元祖的存在ですが、それぞれ独自のスタイルを発展させていきます。


カンディンスキーは色には音があると言います。色の組み合わせは和音や不協和音を生みます。


彼のComposition VII (1913)では形は完璧に抽象化されており、色が和音や不協和音を作り出して、ハーモニーやアクセントを生み出しています。


彼は色の音を聞くためには絵画から意味を排除しなければならないと考えました。なぜなら人は無意識のうちにイメージの中から意味を読み解こうとしてしまい色に目を向けなくなってしまうからです。


カンディンスキーこう考えました。色は魂に直接影響を与える力を持っている。色はキーボードで目はハンマー、魂はたくさんの弦でアーティストはピアニスト。アーティストはキーを叩くことで魂に振動を起こす、と。


カンディンスキーの絵が完全なる抽象表現だとしたら、クレーは具象画と抽象画を組み合わせたような表現をしました。


「セネシオ」(1922)では人の顔に抽象的パターンが描かれています。クレーは、芸術とは「目に見えるものを映し出すのではなく、目に見えないものを見えるようにする」ことと定義し、外観の向こう側の目に見えないリアリティを表現しました。



以上、絵画上での音楽的表現を追求していった画家たちを紹介してきました。彼らの絵を鑑賞するときは何か意味のあるものを探して何も見つかりません。それよりも、ただ色や形の組み合わせを観察して、浮かんでくるイメージや感覚に気持ちを傾けてみてください。色の音が聞こえてくるかもしれません。












機械文明の礼賛、未来派とダイナミズム



キュビスムと時を同じくして、未来派という絵画運動がイタリアで誕生しました。


イタリアの詩人マリネッティが未来派宣言というものを当時のフランス有名新聞、ル・フィガロ誌に出したことがきっかけとなります。


未来派宣言の内容は、伝統により創造性が押し殺されているから伝統を壊していこうという過激なものでした。また、機械文明のダイナミズムとスピード感を賛美する内容でもありました

未来派のアーティストたち

その未来派宣言に呼応して、未来派のアーティストたちが次々と作品を制作していきます。


未来派の条件としては近代文明のダイナミズムを描いていること。彼らの絵画は時間の連続性を強調しました。


たとえば、バッラによる「鎖につながれた犬のダイナミズム」(1912)。ワンちゃんの足がずわーーーーって動いています。漫画みたいな動きの表現ですね。



また、ボッチョーニによる「空間の連続における唯一の形態」(1913)では機械文明のスピードや進歩がサイボーグの彫刻により表現されています。形を変えながらも前へと前進していく力強さが感じられます。


このように、未来派の芸術家たちは動きをパックして一つの空間に表現しようとしました。キュビスムの画家たちが視点を切り貼りしたように、彼らは時間を切り貼りしたのです。実際二つの絵画運動は互いに影響し合いながら発展していきます。

機械と人間

ここで、未来派をよく象徴していると思われる絵画を紹介します。ボッチョーニによる State of Mind: Those Who Go, The Farewells, and Those Who Stay (1911)の3部作です。全体的にキュビスムの影響が見られるこの作品。彼は機械が人間に与える心理的影響を描こうとしました。それぞれ見て行きましょう。


これはThose Who Go では、汽車で旅にでようとしている人びとが描かれています。乗客は機械文明の象徴である汽車に不安、苦悩、戸惑い、寂しさといった感情を持ちながらも今まさに乗り込もうとしています


The Farewells では汽車の中から手を降る乗客とそれを見送る人びとが描かれています。ここでの主役はスチームエンジンの荒々しい力。人びとはエンジンの煙に囲まれながら別れを惜しみます。機械により止まること無く変化し続ける世界こそ彼が描いた未来でした。


そして最後のThose Who Stay では残されたものたちの哀愁が描かれています。今までの絵とは異なりほとんど色がありません。幽霊のように描かれた人びとは肩を落として駅からの帰途についています。彼らの愛すべき人びとは汽車に乗り遥か遠い未来へ去って行きました。彼らは雨に打たれながら惨めな過去に帰っていきます。


この3部作は100年後の現代においても共感できるストーリーを語ります。未来派から100年、テクノロジーの進化は止まらず、我々に変化の中で生きることを強います。これからどのような未来がぼくらを待っているのか。ぼくらもまた不安を抱え汽車に乗り込む旅人なのかもしれません。







世界の終わりと世紀末のメッセンジャーたち



その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。 ―黙示録9章

世紀末に世界は滅びる。。。そんな終末思想に感化された19世紀末の象徴主義。恐ろしい異形のものたちが巣食う世界が耽美的に描かれます。


ということで、今回は目に見えない世界へぼくたちを誘う象徴主義を紹介します。

世紀末の3つのムード

19世紀末、人びとの間では3つのムードが支配的でした。それはベルエポック、デカダンス、そしてアールヌーヴォです。


ベルエポックとは、産業革命や資本主義によりモノで豊かになりゆく社会から生じた享楽的な雰囲気、もしくは時代のことです。


しかし、みんな何を浮かれているんだと一部のインテリは反発しました。ベルエポックは一瞬の輝きにすぎず、その先には退廃的な世界が待っていると彼らは考えていました。急速な進歩に対する嫌悪感や週末への予感といったものが彼らの中に悲観的な雰囲気を作り出します。それがデカダンスです。


そんな暗いデカダンスに対して、「なにをそんなに悲観的になっているんだ、新時代は希望にあふれている!これから我々は新しい芸術を目にするだろう」といった楽観的姿勢、アールヌーヴォが表れます。


象徴主義というのは主にデカダンスに影響された芸術家が主導していった運動でした。彼らは、絵は現実を見せるものではなく曖昧で不確実な世界へと人びとを導く暗示であると捉えました。そのため、魂や精神の神秘に興味を持ち、生死に伴う不安や苦悩、運命や願望を象徴的に表現しました。

象徴主義のメッセンジャーたち


ルドンの「眼=気球」(1878)ではモノクロームで描かれた目が気球となって宙に浮かんでいます。同時代を生きた印象派の画家たちが野外へ飛び出し光を観察していた中、彼はひたすら自分の心の奥底に目を凝らして、そこから沸き上がるイメージを捕まえようとしていました。




こちらの絵はシャヴァンヌの「貧しき漁夫」(1881年頃)。彼の絵画では人物が感情や精神を暗示しています。この絵では漁師を貧しさの象徴として描いています。苦悩やさみしさがダイレクトに伝わってくるような絵です。



ベックリーンの「死の島〈第1ヴァージョン〉」(1880)では風景がモチーフとなっています。陰鬱な島と小さな人影。彼らは何者なのでしょうか。ベックリーン自身はこの絵に関してなんの説明もしておらず謎に包まれていますが、小さな文明から孤立した島はデカダンスを彷彿とさせます。



ムンクも象徴主義の画家として有名です。「思春期」(1894)では少女の後の黒い影が不安を象徴しています。少女をすっぽりと覆ってしまいそうなくらい大きく存在感のある影は生きている限り絶えず我々の後をついてくる死の影とも捉えられます。



と、他にも暗い世界を描いた象徴主義の画家や絵画はたくさん存在しますが、今回はこのくらいにします。


個人的に象徴主義の絵は大好きです。想像力を掻き立てられるような独特の世界観がたまりません。なんだか見てはいけないものを覗き見ているような背徳感を感じます。しかし、気をつけなければいけません。なぜなら、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」からです…

















悪名高きキュビスムを徹底解説


今回は遂にあの悪名高きキュビスムを解説していこうと思います。ピカソの絵がわからない?大丈夫です。これを読めば少なくとも彼の意図したことは理解できるはずです。

キュビスムとはなんぞや

キュピスムとは一言で言えば「分析的観測により対象を分解する」という手法です。


キュビスムとはピカソブラックによる共同開発でセザンヌの多角的視点のアイデアをさらに発展させたものだと言えます。対象を様々な角度から観察し、異なる角度を同時に画面に書き込むというセザンヌのやり方を彼らはさらに極めていったのです。


これはブラックによるViolin and Palette (1909)です。画面の下3分の2がバイオリン。上3分の1が画家のパレットです。色んな角度から集められた視線の断片がゆるーく元の形につなぎ合わされています。これにより、元の形がかろうじて認識可能であると同時に三次元が二次元に展開されています


ここではディーテールは全体のハーモニーのために犠牲にされます。極端に単純化された視線の断片は慎重に組み合わせられ独特なリズムを生んでいます。


キュビスムは何がしたいのか

批評家が「まるでキューブの集まりだ」と言ったことからキュビスムと呼ばれるようになるのですが、実はキュビスムの本質的にはキューブとは真反対の概念です。


キュビスムはもはや三次元の世界をキャンバスに描くという試みではありません。三次元をいかにしてに二次元の世界に展開するかという試みなのです。身の回りのものを二次元に展開することでより深く本質の認識ができる、とピカソとブラックは考えました。


たとえば、サイコロありますよね。サイコロを絵だけで説明してくださいと言われたらどのように描きますか?一つの視点から普通に描くとどんだけ頑張っても3面しか同時に描けません。するとサイコロの見えない部分は説明することができません。


このサイコロを二次元に展開すると話は別です。サイコロの全ての面を描くことができます。こちらのほうがサイコロに関してより情報が多いです。でもこの状態のものをサイコロだと見せられてもそれはそれで本質を捉えきれていません。


そこでキュビスムの登場というわけです。キュビスムは三次元を二次元のピースに分解して、もとの形にゆるーく組み立て直すことで、対象物をよりわかりやすく深く描くことができるっていう考えに基づいています。まぁ逆にわかりにくくなっちゃってるんですが。


キュビスムの登場により絵画は現実世界の模倣という役目を終え、ピカソが「純粋なる絵画の世界」と呼ぶ領域に突入していきます。


今までの絵画を絵画1.0だとすると、キュビスム以降は絵画2.0です。絵画2.0ではどれだけ現実に似ているかが評価の対象ではなく、デザイン的な要素(色、線、形)の組み合わせが評価され感覚で楽しむものになります


形は単純化され丸や三角が画面を支配していきます。結果、対象の極端な単純化は抽象絵画などに受け継がれていきます。


それでも、できるだけわかりやすくしたいから

とはいえ、ピカソとブラックはキュビスムがあまりにも抽象的になりすぎることを危惧していました。結局のところ彼らの目的は物事の本質をわかりやすく伝えることでした。つまり、あくまで具象画。抽象画を意図したわけではありませんでした。


多角的視点により本質を伝えるためには鑑賞者に積極的に絵を読み解いてもらわないといけません。そこで彼らはいろいろ工夫をします。


ブラックの場合、従来の模倣的表現をキュビスム的表現に混ぜています。絵の一番上に注目してください。影のついた釘が刺さっています。画面の中でその釘だけキュビスム的解剖から逃れています。これはキュビスムの絵画に現実との結びつきを持たせるために画家が意図的に加えたものです。


彼らは誰も見たことのない方法で対象物を描こうとしました。しかし、人は見たことのないものには拒絶反応を示します。理解できないからです。


彼は現実世界の身近なものを描き込むことで「ああ、これ知ってる」というフックを作り、彼のイメージがもっと注意を引き頭に残るものにしようとしました


ちなみに、違う物同士が互いを引き立て合うスイカと塩効果も狙って描かれています。


ピカソのMa Jolie (1911-12)では絵の一番下に文字が書き込まれています。これも同じ理由からです。



さらに、ピカソのstill life with chair caning (1912)では画期的な試みが見られます。


上半分はキュビスムなのですが、下半分のあみあみ部分に注目してください。これはオイルクロスと言われる布です。ズボンの裏地やラッピングペーパーの代用品として使われる安くて日常的な素材なのですが、彼はそのオイルクロスを絵画に貼り付けたのです。


彼は日常的素材により、キュビスムの現実との繋がりをより強化しようとしました。しかし、日常的な素材が絵画に使われるのは絵画史上類を見ないことでした。この実験的試みが長い絵画の伝統を壊したのです。


「何でもアートになる」というモダンアートの大原則は、実はこのとき生まれたものでした。その点ではマルセル・デュシャンの「泉」の先駆的存在だと言えます。



まとめると、「純粋なる絵画の世界」そして「何でもアートになる」という概念の確立という点においてキュビスムは革命的だと言えます。


以上、キュビスムに対して解説してきました。この後キュビスムはいろんな運動につながっていきます。ということで次回をお楽しみにー!


補足

初期キュビスムでは派手目の色が使われていません。なぜなら、画面がカオスになるからです。このスタイルは分析的キュビスムと言われており、装飾的で色彩豊かな総合的キュビスムとは区別されています。






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