世界の終わりと世紀末のメッセンジャーたち



その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。 ―黙示録9章

世紀末に世界は滅びる。。。そんな終末思想に感化された19世紀末の象徴主義。恐ろしい異形のものたちが巣食う世界が耽美的に描かれます。


ということで、今回は目に見えない世界へぼくたちを誘う象徴主義を紹介します。

世紀末の3つのムード

19世紀末、人びとの間では3つのムードが支配的でした。それはベルエポック、デカダンス、そしてアールヌーヴォです。


ベルエポックとは、産業革命や資本主義によりモノで豊かになりゆく社会から生じた享楽的な雰囲気、もしくは時代のことです。


しかし、みんな何を浮かれているんだと一部のインテリは反発しました。ベルエポックは一瞬の輝きにすぎず、その先には退廃的な世界が待っていると彼らは考えていました。急速な進歩に対する嫌悪感や週末への予感といったものが彼らの中に悲観的な雰囲気を作り出します。それがデカダンスです。


そんな暗いデカダンスに対して、「なにをそんなに悲観的になっているんだ、新時代は希望にあふれている!これから我々は新しい芸術を目にするだろう」といった楽観的姿勢、アールヌーヴォが表れます。


象徴主義というのは主にデカダンスに影響された芸術家が主導していった運動でした。彼らは、絵は現実を見せるものではなく曖昧で不確実な世界へと人びとを導く暗示であると捉えました。そのため、魂や精神の神秘に興味を持ち、生死に伴う不安や苦悩、運命や願望を象徴的に表現しました。

象徴主義のメッセンジャーたち


ルドンの「眼=気球」(1878)ではモノクロームで描かれた目が気球となって宙に浮かんでいます。同時代を生きた印象派の画家たちが野外へ飛び出し光を観察していた中、彼はひたすら自分の心の奥底に目を凝らして、そこから沸き上がるイメージを捕まえようとしていました。




こちらの絵はシャヴァンヌの「貧しき漁夫」(1881年頃)。彼の絵画では人物が感情や精神を暗示しています。この絵では漁師を貧しさの象徴として描いています。苦悩やさみしさがダイレクトに伝わってくるような絵です。



ベックリーンの「死の島〈第1ヴァージョン〉」(1880)では風景がモチーフとなっています。陰鬱な島と小さな人影。彼らは何者なのでしょうか。ベックリーン自身はこの絵に関してなんの説明もしておらず謎に包まれていますが、小さな文明から孤立した島はデカダンスを彷彿とさせます。



ムンクも象徴主義の画家として有名です。「思春期」(1894)では少女の後の黒い影が不安を象徴しています。少女をすっぽりと覆ってしまいそうなくらい大きく存在感のある影は生きている限り絶えず我々の後をついてくる死の影とも捉えられます。



と、他にも暗い世界を描いた象徴主義の画家や絵画はたくさん存在しますが、今回はこのくらいにします。


個人的に象徴主義の絵は大好きです。想像力を掻き立てられるような独特の世界観がたまりません。なんだか見てはいけないものを覗き見ているような背徳感を感じます。しかし、気をつけなければいけません。なぜなら、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」からです…

















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