キュビスムと時を同じくして、未来派という絵画運動がイタリアで誕生しました。
イタリアの詩人マリネッティが未来派宣言というものを当時のフランス有名新聞、ル・フィガロ誌に出したことがきっかけとなります。
未来派宣言の内容は、伝統により創造性が押し殺されているから伝統を壊していこうという過激なものでした。また、機械文明のダイナミズムとスピード感を賛美する内容でもありました。
未来派のアーティストたち
その未来派宣言に呼応して、未来派のアーティストたちが次々と作品を制作していきます。未来派の条件としては近代文明のダイナミズムを描いていること。彼らの絵画は時間の連続性を強調しました。
たとえば、バッラによる「鎖につながれた犬のダイナミズム」(1912)。ワンちゃんの足がずわーーーーって動いています。漫画みたいな動きの表現ですね。
また、ボッチョーニによる「空間の連続における唯一の形態」(1913)では機械文明のスピードや進歩がサイボーグの彫刻により表現されています。形を変えながらも前へと前進していく力強さが感じられます。
このように、未来派の芸術家たちは動きをパックして一つの空間に表現しようとしました。キュビスムの画家たちが視点を切り貼りしたように、彼らは時間を切り貼りしたのです。実際二つの絵画運動は互いに影響し合いながら発展していきます。
機械と人間
ここで、未来派をよく象徴していると思われる絵画を紹介します。ボッチョーニによる State of Mind: Those Who Go, The Farewells, and Those Who Stay (1911)の3部作です。全体的にキュビスムの影響が見られるこの作品。彼は機械が人間に与える心理的影響を描こうとしました。それぞれ見て行きましょう。
これはThose Who Go では、汽車で旅にでようとしている人びとが描かれています。乗客は機械文明の象徴である汽車に不安、苦悩、戸惑い、寂しさといった感情を持ちながらも今まさに乗り込もうとしています。
The Farewells では汽車の中から手を降る乗客とそれを見送る人びとが描かれています。ここでの主役はスチームエンジンの荒々しい力。人びとはエンジンの煙に囲まれながら別れを惜しみます。機械により止まること無く変化し続ける世界こそ彼が描いた未来でした。
そして最後のThose Who Stay では残されたものたちの哀愁が描かれています。今までの絵とは異なりほとんど色がありません。幽霊のように描かれた人びとは肩を落として駅からの帰途についています。彼らの愛すべき人びとは汽車に乗り遥か遠い未来へ去って行きました。彼らは雨に打たれながら惨めな過去に帰っていきます。
この3部作は100年後の現代においても共感できるストーリーを語ります。未来派から100年、テクノロジーの進化は止まらず、我々に変化の中で生きることを強います。これからどのような未来がぼくらを待っているのか。ぼくらもまた不安を抱え汽車に乗り込む旅人なのかもしれません。