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浮世絵の、ダイナミズムと、印象派



今まで印象派について書いてきましたが、印象派を語るのに浮世絵の存在を無視することはできません。浮世絵はモネ、マネ、ルノワール、ドガを始めとした印象派の画家たちに大きく影響を与えます


浮世絵が彼らに知られるきっかけとなったのは19世紀後半(1855年,1867年, 1878年)、パリを中心に開催された万国博覧会でした。そこで浮世絵を中心とした日本の美術工芸品が大々的に紹介されたのです。日本はずっと鎖国していたので、それまで浮世絵が海外で見られることはありませんでした。


今まで見たこともない浮世絵に感動した印象派の画家たちは積極的にその構図や技法、色使いを取り入れました

広重の視点と構図


それでは、どのように影響を受けているのか一つ例をあげようと思います。


これは歌川広重による「丸清版・隷書東海道五十三次」(1847-1851)の「大津」という作品。旅人や商人の日常風景を写しとったもので一見平凡な絵に見えます。しかし、注目すべきは視点と構図!


広重は俯瞰的な視点で通りを描いています。また、斜めのラインが視線を左下から右上に誘導します。さらに全景がフレームに切り取られています。というのは、一番下の男が腰から上しか描かれてないっていうことです。これらの要素が画面に活気をもたらしています


このような浮世絵的表現スタイルは印象派の絵に継承されます。



こちらはドガの「ダンス教室」(1875)。バレリーナの練習風景を描いたものです。


すぐに気付く点として斜めの構図が広重の絵と共通しています。さらに、少し斜め上の視点から風景が描かれています。また右上のダンサーが絵の枠に切り取られています。


これらの表現スタイルが画面を動的なものにしています。ドガは一瞬の動きを写真のように写しとったような絵画を目指しました。彼はその動きを強調するために浮世絵のテクニックを積極的に使っていったのです


ちなみに、ドガも印象派を代表する画家なのですが目の病気のせいで、他の印象派の画家のようにあまり外に出て作業することはありませんでした。


彼以外にも多くの印象派の画家が浮世絵から大きな影響を受けています。印象派は日本と深い繋がりを持っているのです。








水玉の女王が水玉を描き続ける理由




視界を覆い尽くす水玉模様。異様な空間を作り出しているのは「水玉の女王」として世界的にも名高い日本のアーティスト草間彌生さんです。彼女自身も水玉で覆われています。



彼女自身も彼女の作品もポップで一度見たら忘れられないインパクトを持ってますね。

水玉を描き続ける理由



彼女は水玉模様を異常なくらい好んで描き続けますがそれには理由があります。


彼女は少女時代から統合失調を病み視界に水玉模様が浮かぶという幻覚に悩まされてきました。彼女はその幻想をアートの形で自分の外に表現し続けることで自分の病理と戦ってきました。


耳なし芳一の話をしっていますか?芳一は幽霊から身を守るためにお経で全身を埋め尽くしたました。彼女も自らが恐怖する幻覚から身を守るために作品全体を水玉で埋め尽くしているとも言われています。


彼女の言葉を引用します。


「恐慌性障害で30年以上も苦しんだ。困難に勝つために描き続けた。芸術は私にとって最高の医師。私は描くのが大好きで、寝る時も描き、死ぬまで描くつもりだ。皆さんが私の作品を鑑賞し、愛してくだされば有難い。私の美術は愛、無限の宇宙に対するメッセージのようなものだ」 


心の病を克服するために芸術を続けてきたという彼女の生き方はすごく力強くてかっこいいなって思います。現在でも精力的に芸術活動を続けている彼女の作品に期待!



飛べなくなった男とぼくたちの社会



閉塞的な社会で

遊園地の錆びた飛行機と合体したサラリーマン。飛んでいきたいけど飛べない、夢が敗れた男の悲哀を皮肉的にユーモラスに描いた石田徹也の代表作「飛べなくなった人」。


彼の作品は現代における生きづらさを代弁してくれるかのようです。彼自身美術系の高校に行きたかったのに親からの強い要望で普通校に入れられたり、就職氷河期に直面して就職をあきらめたりと生きづらい世の中を歩みました。


行きたくもない学校に無理やり行かされて、


学校生活が終わればすぐに就職活動。


 ロボットのように働き、食事をして、寝て、起きたらまた仕事。


人はいつ飛べなくなるのだろうか


今の日本人なら誰でも感じる閉塞感のようなものが作品に漂っています。やってられっか!ですよ。彼の作品はおかしくもあり恐ろしくもあります。こういうことあるよね~と思ってよくよく見たら描かれていたのは自分の姿だった的な。


でもこんな生きづらい世の中でも自由を手にして楽しく生きている人もいます。人が飛べなくなるとき、それは生きづらい社会に合わせて自分を順応させてしまったときなんじゃないでしょうか。ぼくは石田徹也の絵を見る度に自分と社会との繋がり方を考えさせられます。





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