キーとなる人物はドラクロワ、クルーベ、マネ、そしてボードレールです。舞台はフランスで時代的には1820年から1870年あたりの話になります。
アカデミーと新古典主義
当時の芸術界において最大の権威はアカデミー。フランスにおける芸術政策の要となる機関で、芸術家の育成・表彰・展示といった特権を独占していました。そして、サロンというアカデミー主催の展覧会が当時の芸術家にとっての登竜門的存在でした。アカデミーは、絵画は知的で理論的であるべきだという信条を掲げ、ギリシアやルネサンス時代の芸術を理想としました。いわゆる新古典主義ってやつです。上の絵は新古典主義の代表的画家ダヴィッドの有名なナポレオンの絵です。
ロマン主義のテクニック
それに対抗して、ロマン主義ってのが現れてきます。ロマン主義は古典主義の掲げる理性や合理性に対して感受性や主観といった人間的側面に重きをおいた考え方です。「民衆を導く自由の女神」(1830)で有名なドラクロワがロマン主義における代表的な画家です。ナポレオンの絵と比べたら、色がより鮮やかでコントラストがはっきりしています。新古典主義の筆使いが「静」ならこちらは「動」って感じで画面が活気づいてます。
このドラクロワの手法は後に印象派の中心的絵画技法となっていきます。
写実主義の姿勢
そして、次はロマン主義に対抗して写実主義が登場します。写実主義で特徴的なのは空想を排して現実をありのままに捉えようぜっていう姿勢です。ロマン主義には主観や装飾で現実を美化しすぎなんだよっ!っていう反発が込められますね。有名なのはクルーベ。この「画家のアトリエ」(1885)という絵では当時の作品の制作風景がありのままに描かれています。
この身の回りをあるがままに捉えるというスタイルも印象派に継承されます。
はい、長くなりそうなのでここまでを前編とします!
まとめると、アカデミーが芸術界を牛耳っているという状況に対抗してロマン主義が出てきたり写実主義が出てきました。これらの主義は最終的に印象派に大きな影響を与えます。
後半へ続く。