シュールレアリズムと混沌への扉を開ける2つの手法



死体がベッドの上に横たわり、その傍らには音楽を楽しむ暗殺者が佇んでいます。彼の死角には二人の警官が武器を構えチャンスを窺っており、窓の外からは3人の目撃者が部屋の中を覗きこんでいます。


マグリットの「暗殺者危うし」(1927)という絵は一見写実的に見えますが、なにか現実離れした浮遊感を鑑賞者に感じさせます。微妙におかしい点がたくさんあるからかもしれません。なぜ網と棍棒?音楽を楽しんでいるのはなぜ?3人の男たちは誰?この絵を見ると不思議で不気味な夢の中のような感覚を抱きます。。。。


今回はそんな夢や無意識を描くシュールレアリズムの世界を紹介します。

シュールレアリズムとは

みなさんもシュールという言葉を日常的に使ったり聞いたりすることがあると思います。普通ではありえないような組み合わせに対してシュールだと形容することがあるようです。


そんなシュールという言葉の使われ方の通り、シュールレアリズムの画家たちはありえないものを組みあせたような表現をします。


本来あるべき場所や環境と無関係な状況に物や人をおいて、不安な雰囲気、不条理で謎めいた超現実的な空間を生む方法はデペイズマン(配置転換)と呼ばれます。


マグリットによる「共同発明」(1935)では魚の頭部と人間の下半身が融合しており、浜辺に打ち上げられています。まさにデペイズマンです。


しかし、シュールレアリズムの画家にとっては彼らの目的を達成するための一つの手段にすぎませんでした。


彼らの目的とは何か。


それは現実を超えたリアリズムを捉えることでした。


彼らはダダイズムの非合理や無秩序という精神を受け継ぎ、それらにコントロールされない夢や無意識の世界に現実を超えたリアルを見出します


合理的、科学的なものにしばられない夢の世界。理性や意識を持ってはアクセスできない無意識の世界。混沌が支配するそれらの世界に踏み込みそこからイメージを生み出す方法は二つあります


夢を再構築するダリ的表現


一つの方向はリアルに描かれた物や人をあり得ない組み合わせで配置することで夢や無意識の世界を表すといった方法でした。


ダリの「記憶の固執」(1931)では溶けた時計が木や机にかけられています。時計がこのように溶けることなんてありえません。非日常的で夢の中のようです。合理性をはかる基準である時間を表す時計が溶けているのは非合理を絵に描いたようなものであると言えます。


また、ダリはイメージを写実的に描くほどそれらのあり得ない組み合わせが大きなインパクトを持つと考えました。


写実+非日常空間=ダリ的表現です。


無意識のままに描くミロ的表現


二つ目の方向は画家自身が無意識の状態で絵を描くという方法です。ミロによる「ハーレクインのカーニバル」(1924-25)は彼自身が空腹の中で見た幻想をスケッチしたものです。


シュールレアリズムの画家には眠りながら絵を描いた人もいたようです。しかし、一般の画家にはそんな真似はできません。彼らは例外的でした。一般的にはオートマティズムという方法が取られます。


オートマティズムとは意図的に偶然の要素を利用して意識下のイメージや連想を引き出そうとする方法です。


たとえば、凸凹のある素材の上においた紙を鉛筆などでこすって、そこに現れた素材表面の質感が作り出す予期しない形をイメージとして利用するフロッタージュ。


絵の具をつけた紙に別の紙を被せてこすり、出来上がった偶然の模様をイメージとして利用するデカルコマニーなど、ぼくらが美術の授業でならった懐かしい手法の数々がオートマティズムの例です。


そんな偶然から出来上がったイメージに対し、「壁の木目が人の顔に見える的」連想をして無意識を表現します。


エルンストによる「沈黙の目」(1943-44)ではデカルコマニーが使われているようです。真ん中の模様ですかね。




以上見てきたように、二つの方法によりシュールレアリズムの画家たちは現実を超越したリアリティを捉えようとしました。


本当にこれらの方法で夢や無意識の世界が表現できるのかは謎ですが、少なくとも不気味で魅力的な非日常空間をつくり上げることには成功していますね。









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