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表現の終着点としてのミニマリズム



ドナルド・ジャッドの「無題」(1972)というこの作品。内側が赤い鉄の箱、以上!それ以上でも以下でもねぇっていう潔よさ。


それがミニマリズムの本質だったりします。


ミニマリズムは1960年から1975年あたりまでアメリカで盛んになった美術運動です。抽象表現主義の感情表現やポップアートの世俗的な表現とは対照的で、ストイックに作品からひたすら要素を取り除きまくったシンプルな作品が特徴的です。


今回はそんなミニマリズムについて。

全てを取り払ったら物質だけが残った


伝統的な彫刻は木や鉄などの素材を使い何かの形を模倣するものでした。


しかし、ミニマルアーティストはこう考えます。もし彫刻家が木や鉄か何かを作るのなら、それは木や鉄から作られたもの以上でも以下でもない。


オブジェは何かの形を真似る必要もないし、アーティストの感情や思想が入る必要もない。そして、アーティストが作る必要もない。


なので、鉄の箱を誰かに作らせて美術館に置いてもらうっていう手法をとったりします。もはやアーティストはただ制作を計画し、制作を発注し、見守るだけっていうスタンス!


その狙いは表現や感情、主題など、製作者の影をアート作品から取り除くこと。


現にドナルド・ジャッドの作品は大体「無題」です。


そのことにより鑑賞者は製作者の意図に惑わされることなく、純粋に目の前のオブジェを観察することができます


ここまできたら好きか嫌いかっていう個人の判断基準だけが正義です。


そういう意味ではミニマリズムって一番わかりやすいアートだったりするんです。


「意味はありません。目の前にある物質が全て!あるがままを見てくれ!」っていうミニマリズムはとても単純明快

イズムの終了

でも、ここまでくるとなんでも芸術になるやんっていうツッコミが入りそうです。


たとえば、空のティッシュ箱に適当に「無題」っていうタイトルつけて美術館においたらそれはアートなんでしょうか??そこにはなんの意図もありません。ティッシュ箱をただ見てくれ!っていう話です。


さすがにここまで行くとやり過ぎですw


つまり、ミニマリズムは芸術が芸術でなくなるギリギリのライン上での表現なんです


ミニマリズムによってもたらされた「これ以上行くとアートは終わってしまう」という地点で現代美術におけるモダニズムは終わりを迎えます。


そして1970年代以降、イズム(主義)という美術運動も影を潜め、様々なアーティストが主義に縛られず独自の方法でアートを制作していくアート戦国時代的な時代に突入します。


それが今です!


そういう意味では、ミニマリズムが100年にわたり展開された「アートにおける表現の追求」という旅のゴールだったと言えます。


表現することを極めたら表現しないことに行き着くっていう。もはや悟りの境涯ですねw









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