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悪名高きキュビスムを徹底解説


今回は遂にあの悪名高きキュビスムを解説していこうと思います。ピカソの絵がわからない?大丈夫です。これを読めば少なくとも彼の意図したことは理解できるはずです。

キュビスムとはなんぞや

キュピスムとは一言で言えば「分析的観測により対象を分解する」という手法です。


キュビスムとはピカソブラックによる共同開発でセザンヌの多角的視点のアイデアをさらに発展させたものだと言えます。対象を様々な角度から観察し、異なる角度を同時に画面に書き込むというセザンヌのやり方を彼らはさらに極めていったのです。


これはブラックによるViolin and Palette (1909)です。画面の下3分の2がバイオリン。上3分の1が画家のパレットです。色んな角度から集められた視線の断片がゆるーく元の形につなぎ合わされています。これにより、元の形がかろうじて認識可能であると同時に三次元が二次元に展開されています


ここではディーテールは全体のハーモニーのために犠牲にされます。極端に単純化された視線の断片は慎重に組み合わせられ独特なリズムを生んでいます。


キュビスムは何がしたいのか

批評家が「まるでキューブの集まりだ」と言ったことからキュビスムと呼ばれるようになるのですが、実はキュビスムの本質的にはキューブとは真反対の概念です。


キュビスムはもはや三次元の世界をキャンバスに描くという試みではありません。三次元をいかにしてに二次元の世界に展開するかという試みなのです。身の回りのものを二次元に展開することでより深く本質の認識ができる、とピカソとブラックは考えました。


たとえば、サイコロありますよね。サイコロを絵だけで説明してくださいと言われたらどのように描きますか?一つの視点から普通に描くとどんだけ頑張っても3面しか同時に描けません。するとサイコロの見えない部分は説明することができません。


このサイコロを二次元に展開すると話は別です。サイコロの全ての面を描くことができます。こちらのほうがサイコロに関してより情報が多いです。でもこの状態のものをサイコロだと見せられてもそれはそれで本質を捉えきれていません。


そこでキュビスムの登場というわけです。キュビスムは三次元を二次元のピースに分解して、もとの形にゆるーく組み立て直すことで、対象物をよりわかりやすく深く描くことができるっていう考えに基づいています。まぁ逆にわかりにくくなっちゃってるんですが。


キュビスムの登場により絵画は現実世界の模倣という役目を終え、ピカソが「純粋なる絵画の世界」と呼ぶ領域に突入していきます。


今までの絵画を絵画1.0だとすると、キュビスム以降は絵画2.0です。絵画2.0ではどれだけ現実に似ているかが評価の対象ではなく、デザイン的な要素(色、線、形)の組み合わせが評価され感覚で楽しむものになります


形は単純化され丸や三角が画面を支配していきます。結果、対象の極端な単純化は抽象絵画などに受け継がれていきます。


それでも、できるだけわかりやすくしたいから

とはいえ、ピカソとブラックはキュビスムがあまりにも抽象的になりすぎることを危惧していました。結局のところ彼らの目的は物事の本質をわかりやすく伝えることでした。つまり、あくまで具象画。抽象画を意図したわけではありませんでした。


多角的視点により本質を伝えるためには鑑賞者に積極的に絵を読み解いてもらわないといけません。そこで彼らはいろいろ工夫をします。


ブラックの場合、従来の模倣的表現をキュビスム的表現に混ぜています。絵の一番上に注目してください。影のついた釘が刺さっています。画面の中でその釘だけキュビスム的解剖から逃れています。これはキュビスムの絵画に現実との結びつきを持たせるために画家が意図的に加えたものです。


彼らは誰も見たことのない方法で対象物を描こうとしました。しかし、人は見たことのないものには拒絶反応を示します。理解できないからです。


彼は現実世界の身近なものを描き込むことで「ああ、これ知ってる」というフックを作り、彼のイメージがもっと注意を引き頭に残るものにしようとしました


ちなみに、違う物同士が互いを引き立て合うスイカと塩効果も狙って描かれています。


ピカソのMa Jolie (1911-12)では絵の一番下に文字が書き込まれています。これも同じ理由からです。



さらに、ピカソのstill life with chair caning (1912)では画期的な試みが見られます。


上半分はキュビスムなのですが、下半分のあみあみ部分に注目してください。これはオイルクロスと言われる布です。ズボンの裏地やラッピングペーパーの代用品として使われる安くて日常的な素材なのですが、彼はそのオイルクロスを絵画に貼り付けたのです。


彼は日常的素材により、キュビスムの現実との繋がりをより強化しようとしました。しかし、日常的な素材が絵画に使われるのは絵画史上類を見ないことでした。この実験的試みが長い絵画の伝統を壊したのです。


「何でもアートになる」というモダンアートの大原則は、実はこのとき生まれたものでした。その点ではマルセル・デュシャンの「泉」の先駆的存在だと言えます。



まとめると、「純粋なる絵画の世界」そして「何でもアートになる」という概念の確立という点においてキュビスムは革命的だと言えます。


以上、キュビスムに対して解説してきました。この後キュビスムはいろんな運動につながっていきます。ということで次回をお楽しみにー!


補足

初期キュビスムでは派手目の色が使われていません。なぜなら、画面がカオスになるからです。このスタイルは分析的キュビスムと言われており、装飾的で色彩豊かな総合的キュビスムとは区別されています。






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