ゴヤの黒い絵に見る2種類の恐怖の違いとホラー映画論


我が子を食らうサトゥルヌスのストレートな恐怖


巨大な身体。カッと見開いた目。大きく開けた口。掴んでいるのは頭と腕を食いちぎられた子供。なんとおぞましい絵でしょうか。怖い絵といえば真っ先にあげられることも多いこの絵。フランシスコ・デ・ゴヤによる黒い絵シリーズの中の一作品「我が子を食らうサトゥルヌス」です。


この絵のモチーフはローマ神話に登場する伝承です。将来自分の子供に殺されるという予言をきいたサトゥルヌスは自分の5人の子供を次々と呑み込んでいったと言います。


この絵を見た瞬間に怖い!という感情が湧いてきます。とてもストレートな恐怖や狂気の表現だと言えます。


砂に埋もれる犬のジワジワ来る恐怖


ゴヤの黒い絵よりもう一作品。


「砂に埋もれる犬」と呼ばれるこの絵。砂に埋もれながら何かを見上げる犬が描かれています。状況が飲み込めていないからなのか、砂から逃れようと暴れる素振りすら見せていません。


ただ死を待つだけの絶望的状態。先ほどのストレートな恐怖の表現に対し、こちらはジワジワ来る恐怖を鑑賞者に与えます。


ホラー映画の和と洋


これらの恐怖の違いはホラー映画に対する欧米的表現と日本的表現にも見られます。


前者がアメリカなどのホラー映画でよく見る恐怖の表現です。13日の金曜日のジェイソンやエルム街の悪夢のフレディなどパッと見で怖いことが伝わり、ソウシリーズに見られる人体の破壊といったストレートな死の表現を多用します。



一方、後者は日本のホラー映画や怪談話に見られるじんわりと来る恐怖です。直接的にグロテスクなものを見せたり驚かすのではなく、想像させて怖がらせるという間接的な表現です。


この恐怖表現の違いは何を怖いと思うかという文化の違いを色濃く反映した結果なんじゃないでしょうか。


日本人は古くから目に見えない幽霊や妖怪などを想像して夜の闇を怖がってきました。でも、欧米ではドラキュラやフランケンシュタインなど、幽霊的なものよりも怪物的なものへ恐怖の対象が向けられていたように思えます。


しかし、グローバル化と呼ばれ情報がすさまじいスピードで行き交う昨今、何を怖いと思うかは多様化してきています。その結果、新しい恐怖の表現が生まれていくのではないかとぼくは期待しています。


まぁ、まとめると最近のワンパターンなホラー映画には飽き飽きしてるので早くおもしろいの作ってーっていう願望ですねw









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